映画『グリーンブック』を観たとき、なんとも言えない温かい気持ちがこみ上げてきました。
人種差別や友情、旅、音楽。どのテーマにも心が動かされますよね。
でも、観終わった後にふと「この話って本当にあったことなの?」「あの2人はその後どうなったの?」と気になった方も多いのではないでしょうか。
実際に私も、観た直後にいろいろ調べてしまいました。
今回はそんな方のために、『グリーンブック』のモデルとなった人物やエピソード、その後の人生、そして映画との違いまで詳しくお届けします。
映画をより深く味わいたい方や、実話の背景を知りたい方は、ぜひ最後まで読んでみてください。
映画「グリーンブック」実話のモデルは誰?
この映画は、1960年代のアメリカ南部を舞台にした実話がもとになっています。
差別が色濃く残っていた時代に、ある黒人ピアニストとイタリア系の運転手が南部を旅します。
そのふたりこそ、ドン・シャーリーとトニー・“リップ”・バレロンガです。
どちらも実在した人物で、実際に“グリーンブック”と呼ばれる黒人用の旅行ガイドを使って演奏ツアーを行っていました。
天才ピアニスト、ドン・シャーリー
ドン・シャーリーは1927年にフロリダ州ペンサコーラで生まれました。
幼少期から音楽の才能を発揮し、2歳でピアノを弾き始めたという記録もあります。
10代で音楽理論の研究を始め、ソビエトでの留学も経験するなど、まさに“神童”と呼ばれる存在でした。
しかし、彼が選んだのは「クラシックとジャズの融合」という独自のジャンル。
黒人でありながらクラシック音楽の世界を志したこともあり、当時は多くの音楽関係者から「ジャズだけをやれ」「黒人には無理だ」と否定されることが多かったようです。
クラシック界では黒人に門戸が開かれておらず、ドンはその狭間で葛藤し続けたといわれています。
彼の演奏は、まるで詩のように静かで深い。
それでいて力強く、芯がある。
ジャズのリズムとクラシックの構成美が融合し、ジャンルの枠にとらわれないスタイルが印象的です。
映画の中でも演奏シーンが心に残りますが、実際の音源にはさらに繊細な魅力があります。
また、知的で哲学的な一面も強く、インタビューでは「人間は教養を身につけなければ自分自身を誤解する」といった発言も残しています。
高い知性と感性を持ち合わせた人物だったことがうかがえます。
トニー・バレロンガ
映画では豪快でお調子者のトニーが登場しますが、実在したトニー・“リップ”・バレロンガもまた、ただのナイトクラブの用心棒ではありませんでした。
1929年にニューヨーク・ブロンクスで生まれ、イタリア系移民の家庭で育ちます。
地元では“口八丁”の愛されキャラとして知られており、「リップ(=ホラ吹き)」というニックネームもその気質から来ています。
元々はクラブでの警備や雑用をこなしていたそうですが、話術や人懐っこさを買われ、VIP対応のような役割を任されるようになったといいます。
そしてある日、ドン・シャーリーの南部ツアーの運転手兼ボディガードとして採用され、映画の旅が始まりました。
トニーには学歴はなかったものの、機転が利き、人を見る目がありました。
差別に対して無自覚だった面もありましたが、ドンとの旅を通じて徐々に変化していきます。
この変化こそ、映画の中で最も重要なポイントだと私は感じました。
その後トニーは、俳優としても活動を開始。
『グッドフェローズ』『ソプラノズ』などマフィア系作品の脇役として何度も登場しています。
派手ではないけれど、ニューヨークの下町を生きた男の味を持った俳優だったんですね。
息子であるニック・バレロンガが脚本家・プロデューサーとして映画化したことで、父の人生は改めてスポットライトを浴びることになりました。
映画「グリーンブック」実話のモデルのその後は?
映画が終わったあと、ふたりはどうなったのか。
ここも気になるポイントですよね。
実はこの旅のあとも、ドンとトニーは長年にわたって交流を続けていたそうです。
ただし、先ほども触れたように、どれほどの距離感だったのかについては意見が分かれています。
トニー・バレロンガはその後、映画やテレビドラマの端役で俳優として活動したり、脚本家としても名前を残しました。
息子のニック・バレロンガは映画『グリーンブック』の脚本と製作を担当し、アカデミー賞受賞へと導いた立役者でもあります。
つまり、父親の体験を息子が映画にしたという構図ですね。
この点はとても感慨深いものがあります。
一方、ドン・シャーリーは音楽家としての活動を続け、演奏家として確固たる評価を受けた存在でした。
カーネギーホールで演奏したり、複雑なクラシック作品をこなす技術には高い評価が集まっていました。
けれど、クラシックの世界では黒人という理由で多くの壁にも直面していたのです。
私が調べた中で印象的だったのは、ドンの演奏スタイルに対する当時の批判です。
ジャズでもなく、クラシックでもない。
そうした“ジャンルの隙間”にいたため、どちらの世界からも理解されにくかったそうです。
それでも自分の道を貫いた姿勢には、強い信念を感じます。
映画「グリーンブック」実話と映画の違い
映画ではふたりの関係が“友情の物語”として描かれています。
旅の終盤では心の距離が近づき、まるで家族のような温かさが生まれていく様子に胸を打たれました。
ただし、実際のドン・シャーリーは、映画ほど打ち解けた関係とは感じていなかったようです。
ドンの家族や知人の証言によると、あくまでプロフェッショナルな関係だったとのこと。
もちろんある程度の親交はあったはずですが、「親友」と呼ぶほどの密なつながりはなかったという主張もあります。
ただ、ここには解釈の余地があるように思います。
映画は、トニーの息子であるニック・バレロンガが制作に関わっているため、父の視点から見た関係性に重きが置かれていたのかもしれません。
ドン・シャーリーには兄弟がいたが、映画では“孤独な天才”として描かれている
映画ではドンが家族と疎遠で、どこか孤独に見える描写が続きます。
クリスマスにひとりで過ごす場面など、胸を締めつけられるような演出も印象的でした。
でも、実際のドン・シャーリーには兄弟がおり、特に兄のモーリス・シャーリーとは深い絆があったと言われています。
兄はアメリカの高等教育機関で黒人として初めて心理学博士号を取得した人物でもあり、シャーリー一家自体が非常に知的な家庭でした。
映画ではあえて「孤独」というモチーフに重きを置くために、この家族関係が省略されたようです。
この演出によって、トニーとの関係がより特別なものとして浮き彫りになりますが、実際の人物像を知ると少し印象が変わって見えるかもしれません。
南部ツアー中の出来事は“脚色”されたエピソードも多い
映画の中には、差別的なホテルでの扱いや、警察に理不尽に拘束される場面が登場します。
こうしたシーンは確かにアメリカ南部で当時実際にあった出来事を反映していますが、すべてがドンとトニーに実際に起きたわけではありません。
いくつかのエピソードは、1960年代の人種差別の現実を象徴的に描くための“再構成”と考えられています。
たとえば、ピアノが壊れていた会場のくだりや、雨の中で演奏を拒否する場面などは、ドラマとしての強度を高めるために加えられた可能性が高いです。
それでも、こうした脚色が作品のメッセージをより強く伝えているのは事実です。
映画として観る分には「リアリティのあるフィクション」として受け止めるのがちょうどいいのではないでしょうか。
トニーが手紙を書くシーンは“映画的な演出”
映画の中で印象に残るのが、トニーが妻に毎晩手紙を書くシーン。
最初は不器用だった文面が、ドンの助けを借りて次第に洗練されていく様子が微笑ましく、ふたりの距離の縮まりを象徴する場面として描かれています。
ただ、実際にはこの手紙のエピソードについて確たる記録はなく、創作である可能性が高いです。
映画の脚本を担当したニック・バレロンガが「母と父の愛のかたち」を描きたかったとインタビューで語っていることからも、これは物語の中の“詩的な演出”として加えられたものだと考えられます。
とはいえ、こうしたフィクションがあるからこそ、物語に深みや温かさが生まれるのもまた事実。
ドキュメンタリーではなく映画としての魅力が光る部分だと感じました。
まとめ
『グリーンブック』を実話として見ると、たしかに脚色は多くあります。
でもその脚色によって、より多くの人に届く物語になったとも感じます。
史実に忠実であることも大切ですが、物語として「何を伝えたいのか」がきちんと届くこともまた重要ですよね。
この映画を観たとき、私は「ああ、人ってちゃんと変わることができるんだな」と思いました。
偏見にとらわれていたトニーが、ドンと向き合う中で考えを改めていく様子は、まるで自分にも問いかけてくるようでした。
誰かと意見が合わなくても、立場が違っていても、互いに向き合おうとする気持ちがあれば変化は生まれる。
そんな当たり前だけど難しいことを、ふたりの旅が教えてくれた気がします。
ちなみに私自身、映画を観終わってからドン・シャーリーの音楽をYouTubeで探して聴いてみたのですが、独特の静けさと力強さに思わず泣いてしまいました。
映画の中の演奏も素敵でしたが、本人の音源にはまた違った深みがあります。
ぜひ一度聴いてみてください。
グリーンブックという一冊のガイドブックが、時代を越えて今の私たちにも「自由に旅をすることの意味」を問いかけてくれている。
そんなふうに思えた作品でした。
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