映画「ライトハウス」は、その不穏な空気感や狂気の描写、そして夢か現実かわからない映像美で話題を呼んだ作品です。
でも、この映画、実は「ある実話」がもとになっているって知っていましたか?
スクリーンの中で繰り広げられるあの息苦しい世界が、まさか実際の出来事からインスピレーションを得ていたとは…はじめて知ったとき、背筋がゾッとしました。
そこで今回の記事では、映画「ライトハウス」実話の「スモールズ灯台事件」とは?映画との違いを解説していきます。
それでは最後までお読みください(^▽^)/
映画「ライトハウス」実話の「スモールズ灯台事件」とは?
実際にあったスモールズ灯台事件は、神話や幻想とはほど遠い、けれどある意味で映画以上に背筋がぞわっとするような話でした。
孤島の灯台で起きた異変
1801年、イギリス・ウェールズ沖の小さな岩礁に建つスモールズ灯台。
そこに派遣された2人の灯台守は、数週間の交代制でその地に留まることになっていました。
灯台での生活は過酷です。
天候の変化にさらされ、外界からも完全に切り離された環境。
そんななか、2人のうちの1人が突然、任務中に死亡してしまいます。
詳しい死因については諸説ありますが、持病や事故などが考えられているようです。
動かせない死体と時間の止まった灯台
残されたもう1人は、遺体をそのままにはしておけないと考え、即席の木箱を作ってその中に収め、灯台の外壁にくくりつけて保存しようとしました。
ところが、自然の猛威は予想をはるかに超えていました。
強風と激しい波により、棺は次第に壊れ、最終的には箱のフタが吹き飛び、亡骸の片腕が外に突き出た状態になってしまったのです。
そして、そこからがこの事件の中でもとりわけゾッとするポイント。
風で揺れた遺体の腕が、まるでこちらに手を振っているかのように見えた──。
この光景を目にした生き残った灯台守の精神状態は、言うまでもなく深刻なものになっていきました。
たった1人きりの恐怖体験が制度を変えた
この事件をきっかけに、イギリス政府は灯台勤務の体制を見直すことになります。
それまで2人制だった運営を、最低3人以上の体制に改めたのです。
理由は明白でした。誰かが突然倒れたとき、もう1人がその死を受け止めるにはあまりにも荷が重すぎるということ。
さらに、たった2人では互いを監視・サポートすることも難しい。
孤独と密閉空間が、精神をどう蝕むか──それを国として身をもって学んだ出来事でした。
映画「ライトハウス」実話の「スモールズ灯台事件」と映画の違い
映画「ライトハウス」は、直接的にはこの事件の詳細を再現したものではありません。
むしろ、“孤独な灯台守が精神的に崩壊していく”という状況から着想を得て、そこに神話や幻想、心理的葛藤を織り交ぜて創作されています。
舞台と時代の違い
スモールズ灯台事件は、1801年にイギリス・ウェールズ沖で実際に起きた出来事です。
海上の孤島に建つスモールズ灯台で、二人の灯台守が嵐のため孤立し、片方が死亡、もう片方が死体と共に数週間を過ごすことになりました。
一方、映画『ライトハウス』の舞台は19世紀末のニューイングランド周辺とされる架空の島です。
具体的な地名や歴史的背景は曖昧で、より神話的で抽象的な空間として演出されています。
つまり、実話は地理的にも歴史的にも特定可能な事件であるのに対し、映画はあえてその特定性をぼかし、普遍的な孤独と狂気の物語として描かれています。
登場人物の違い
実話に登場するのはトーマス・ハウエルとトーマス・グリフィスという二人の灯台守です。
彼らは同じ職場の同僚であり、性格が合わずに常に対立していたとされます。
映画ではウィレム・デフォー演じるトーマス・ウェイクと、ロバート・パティンソン演じるエフライム・ウィンズロー(実は本名トーマス・ハワード)という二人が登場します。
この二人は年齢、経験、性格、立場などすべてが対照的であり、単なる労働者同士ではなく、「父と子」「支配と反抗」「伝統と変革」といった象徴的な構図が込められています。
特に両者とも「トーマス」という名前を持つことから、自我と他者の境界が曖昧になっていく心理的テーマも浮かび上がります。
物語の展開の違い
実話では、グリフィスが事故死した後、ハウエルが彼の死体と共に救助を待ち続け、精神を病んでいくというシンプルで現実的な展開です。
物語は外部との断絶と死体の腐敗という物理的現象により進行し、最後には救助が来て終息します。
これに対して映画は、二人の間に激しい緊張と不信が積み重なり、やがて現実と幻想の境目が崩れていくという複雑な展開を見せます。
人魚の幻覚、触手、海の神のようなビジョンなど超現実的な描写が挿入され、最終的には若い男が灯台の光を覗いたことで神罰のような末路を迎えるという、神話的な結末に至ります。
描写と演出の違い
スモールズ灯台事件は記録や証言に基づいた実話であり、描写は現実的かつ淡々としています。
死体が腐敗して腕が窓を叩くようになったという逸話はありますが、それすらも偶然に起きた自然現象と考えられています。
映画では、現実に忠実な描写は最初のうちだけで、やがて映像表現は極端に幻想的になります。
夢か現実かわからないシーン、時間感覚が狂っていく編集、言葉では説明できないビジュアルイメージが多用され、観客の感覚そのものを混乱させるような構成です。
テーマとメッセージの違い
実話の核にあるのは「極限状態に置かれた人間の心理的崩壊」です。
誰にも助けを呼べず、死体と二人きりで数週間過ごすことの恐怖が、現実として語られます。
それに対して映画は、「孤独と抑圧による自我の崩壊」に加えて、「知識への禁断の欲望」「男性性の破壊」「罪と罰」など、より哲学的かつ神話的なテーマが重層的に重なっています。
特に灯台の光を覗く行為は、プロメテウス神話における“火”の盗用と重ねられており、知恵を求めた者への罰として神話的処刑が下されるという構図になっています。
映画「ライトハウス」考察
1800年代初頭の小さな事件が、なぜいま映画としてよみがえったのか。
その理由について、観終わったあとしばらく考えていました。
今の時代って、スマホもSNSもあるし、物理的な孤独とは無縁な気がしますよね。
でも、逆に“見えない孤独”に取り憑かれてる人も多い。
人との関わりのなかで自分がどんどんズレていく感覚とか、ふとした瞬間に現実感が失われるようなあの感じ。
そう思うと、「ライトハウス」ってただのホラーやスリラーじゃなくて、もっと深いところに突き刺さってくる映画なんだと感じます。
昔の灯台守たちが経験した“本当の孤独”の感覚が、現代のわたしたちにも重なって見える瞬間があるんですよ。
監督ロバート・エガースのアプローチ
監督のロバート・エガースは、過去作『ウィッチ』でもそうでしたが、歴史と神話、宗教的イメージを混ぜながら現実と幻想の境界を曖昧にするのが得意です。
今回も、単に実話をなぞるんじゃなくて、どこまでが本当でどこからが幻かを観客に委ねるような演出が見事でした。
しかも、画面の比率をあえて昔のフィルム風にしていたり、音の演出もむせ返るような潮風を感じさせたりと、五感をフルに使って“閉じ込められた男たちの世界”を再現していました。
スクリーンのこちら側にいても、途中からなんだか息苦しくなってくるんですよね。
そういう感覚にさせられる映画って、そうそうありません。
まとめ
スモールズ灯台事件の詳細を知ったとき、「映画のほうが大げさなんじゃないか」と思っていたんですが、むしろ現実のほうが凄まじい側面もあって驚きました。
孤独、死、狂気、そして波の音。映画「ライトハウス」はこれらを混ぜ合わせて、ひとつの濃密な“体験”に仕上げています。
わたしにとっては、単なる実話再現の枠を超えて、感覚的にずしっと響く映画でした。
歴史の闇に埋もれた事件に光を当てることで、新たな意味を見つけようとする姿勢。
ロバート・エガースのそのアプローチに、なんだか励まされた気がします。
日常がふとしたことで揺らぐような、そんな体験をしたい人には、ぴったりの作品かもしれません。
コメント