イギリス映画「ミス・シェパードをお手本に」は、ひとりの風変わりな老女と劇作家との不思議な関係を描いた作品ですが、「これって実話なの?」と気になった人も多いはず。
実はこの物語、本当にあった出来事がベースになっていて、ロンドンの住宅街でバンに住み続けたひとりの女性がモデルになっています。
映画ではユーモラスでちょっと切ない雰囲気が漂っていましたが、現実の彼女の暮らしはもっと過酷で、孤独と紙一重の生活だったようです。
映画では語られなかったリアルなエピソードや、車上生活を終えた後の展開、そして映画と実話との間にある微妙な違いまで、この記事で詳しくお伝えしていきます。
映画「ミス・シェパードをお手本に」解説
ロンドンの住宅街に、ある日突然やってきた古びたバンとその中で暮らす年配の女性。
名前はミス・シェパード。
身なりはボロボロ、振る舞いは風変わりで、地域の住民からは少し距離を置かれていた存在。
でも、そこには彼女なりの理由と、誰にも語ってこなかった過去が隠れていたんです。
物語の語り手である劇作家アラン・ベネットは、ひょんなことから彼女のバンを自宅の私有地に停める許可を出し、そこから2人の奇妙な共同生活が始まります。
最初は“少しの間だけ”と思っていたはずが、それが15年もの月日になるとは、誰も想像していなかったはず。
映画は、そのふたりの関係を静かに、でもユーモアと皮肉を織り交ぜながら描いていきます。
社会から外れた暮らしを選んだミス・シェパードの背景や、ベネット自身の葛藤も丁寧に描かれていて、「善意って何だろう?」「誰かを助けるって、どこまで踏み込んでいいんだろう?」という問いが、観ている側にもじわじわと迫ってくるような構成になっています。
この映画の面白さは、感動を押しつけないところ。泣かせにくるわけでもなく、ただ淡々と、けれども確かに心に残る。
そんな独特の空気感が魅力です。しかも実話に基づいているという点で、説得力もぐっと増してきます。
監督はニコラス・ハイトナー。
主演のマギー・スミスが、舞台版に引き続きミス・シェパードを演じていて、その存在感がとにかく圧倒的。
セリフひとつひとつに重みとユーモアがあって、見れば見るほど味が出てくるような演技でした。
何も大きな事件が起こらないのに、観終わったあとの満足感がじんわりと広がっていく。
映画「ミス・シェパードをお手本に」実話
映画を観て気になったのが、「本当にこの人、こういう人生を送ってたの?」ということでした。
あれだけインパクトのあるキャラクター、フィクションじゃないというのが信じられないくらい。
でも、調べてみると事実はもっと複雑で、人間くさくて、驚かされることばかりでした。
まず、本名はマーガレット・メアリー・フェアチャイルド。
映画では“メアリー・シェパード”という名前で通してますが、これはいわば仮名のようなものだったそうです。
昔の新聞記事などでも、本名ではなくシェパードという偽名で記録されていたらしいです。
なんだか、名前すら自分で選び直した感じがして、その時点でもう「ただ者じゃない感」が漂ってますよね。
若い頃はロンドンの王立音楽アカデミーでピアノを学んでいて、かなりの腕前だったと言われています。
演奏会にも出ていたそうで、将来を期待されていた存在だったみたいです。
でも、何かのきっかけでその道を断念してしまった。
理由ははっきりしていないのですが、精神的に不安定な部分があったとか、宗教的な問題を抱えていたとか、複数の説があります。
一時期は修道院に入っていたという話もあります。
ただ、そこでの生活が合わなかったのか、やがて離れ、以後は社会と距離を置くような生き方になっていったようです。
個人的には、そういう過去を背負ってしまった人がバンの中で暮らす選択をすること、なんとなく理解できる気がするんです。
誰にも指図されない、自由な空間で、自分だけのルールで生きる。
孤独と自由って、時に紙一重なんですよね。
なぜ車で暮らすようになったのか
一番気になるのはここじゃないでしょうか。
「どうしてずっと車に住んでたの?」と。
実際の経緯については、完全に明らかになっていない部分も多いです。
ただ、映画にもチラッと出てきますが、過去に交通事故を起こしてしまい、それがきっかけで精神的に追い詰められたという話があります。
その事故で人を死なせたのではないかという疑惑があり、自責の念や警察への恐れから、住所を持たず、バンでの放浪生活を選んだというのが有力な説です。
もちろん、確定的な証拠はないのですが、バン生活中も常に警察や役所を避けるような行動をとっていたことから、そういった背景がある可能性は高いでしょう。
この話、すごく人間っぽいと思いませんか?
罪悪感とか、逃げたい気持ちとか、それでも誰かとつながっていたいという複雑な思い。
現実のメアリー・フェアチャイルドさんは、そういうものを全身で抱えていた人だったのかもしれません。
アラン・ベネットさんとの出会いと15年の同居生活
アラン・ベネットさんと出会ったのは、1970年代初頭。
ロンドンのカムデンにあるグロスター・クレセントという住宅街でした。
当初は通りにバンを停めていただけでしたが、徐々に地域住民と軋轢が生まれ、最終的にベネットさんのご自宅の私有地に「避難」する形となります。
なんとも不思議な同居生活の始まりです。
実はこの生活、半年とか1年の話ではなく、なんと15年以上続くことになります。
その間、彼女は家には入らず、ずっとバンの中で暮らし続けました。
しかも、ベネットさん自身はそこまで深く干渉することもなく、距離感を保ち続けていたそうです。
手紙のやりとりも、あまりなかったといいます。
ある意味、極めて静かな「共生」だったのでしょうね。
実際に亡くなったのは1989年。享年は70代半ばと言われています。
ベネットさんはその後、この体験をもとに舞台劇『ザ・レディ・イン・ザ・ヴァン』を書き、1999年に初演。
2015年には映画化され、マギー・スミスさんが印象的な演技を見せてくれました。
映画「ミス・シェパードをお手本に」実話との違い
映画を観終わったあと、「これ、どこまで本当なんだろう?」と気になって調べた人も多いんじゃないでしょうか。
実話ベースとはいえ、やっぱり映画には映画の“演出”があって、現実とは少し違う部分もあるんですよね。
印象的なのは、映画ではミス・シェパードのことをどこか“憎めない風変わりなおばあさん”として描いていた点です。
マギー・スミスさんの演技があまりに魅力的だったから、むしろ愛らしさすら感じてしまった人もいたかもしれません。
ただ、実際のメアリー・フェアチャイルドさんは、もっと気難しくて、コミュニケーションも一筋縄ではいかない人物だったようです。
映画では、主人公アラン・ベネットの家の敷地にバンを停めたあとのやり取りが、ちょっと温かみをもって描かれていましたよね。
でも、現実にはその距離感はもっと冷静で、言ってしまえば「なるべく関わらないようにしていた」くらいの感覚だったらしいです。
それでも15年も同じ場所にいたって、ちょっとした奇跡ですよね。
無理に絆を育てようとしなかったからこそ、あの関係が続いたのかもしれません。
映画の“語り手”としてのベネットさんと、実際のスタンス
映画でユニークだったのが、アラン・ベネットさん自身が“二人”で描かれていたことです。
書き手の自分と、現実の自分。
これは彼の頭の中の対話を映像化したもので、舞台劇的な演出が取り入れられていました。
でも、当然ながら現実に彼が分身して会話してたわけじゃないです。
この構成は、観客にとっては彼の内面をのぞき見るような面白さがありました。
でも、実際のベネットさんはもっと感情を表に出さないタイプだったみたいで、自分の中で葛藤はあっても、それを行動や言葉に出すことはあまりなかったそうです。
映画では内省的でやや優しげな印象が強かったですが、実際にはもっと淡々としていたようですね。
死の描かれ方と、バンの中の最期について
映画の終盤、ミス・シェパードが静かに亡くなるシーン、そしてその後の描写はとても詩的で印象的でした。
魂が昇天するような演出は、ややファンタジックにすら感じられる部分もありましたよね。
でも実際の亡くなり方は、もっと現実的で、もっと淡々としたものだったようです。
1999年にアラン・ベネットさんが書いた舞台では、そこまで劇的な死の描写はなく、あくまでも「バンの中で亡くなっていた」という事実を淡々と伝えていました。
発見された時、周囲は特に驚いた様子でもなく、「あぁ、ついにこの日が来たか」という空気だったといいます。
近所の人たちも、なんとなくその時が近いことを感じ取っていたのかもしれません。
まとめ
実話のほうが、映画よりも静かで、謎が多くて、でもどこかじんわりと胸に響きます。
人の人生って、一本の筋が通っているようでいて、実はほとんどが迷いや偶然でできてるのかもしれません。
次にこの映画を観るとき、ミス・シェパードさんの過去や本当の名前を思い出してみてください。
ただの変わり者ではなく、一人の女性がたどった道が、どれだけ不器用で、どれだけ人間らしいかが、きっと見えてくると思います。
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