スポンサーリンク

映画「プリズンエスケープ 脱出への10の鍵」実話の脱獄のその後は?映画との違いも解説

映画「プリズンエスケープ 脱出への10の鍵」実話の脱獄のその後は?映画との違いも解説 実話ベースのサスペンス映画

映画「プリズンエスケープ 脱出への10の鍵」は、ただの脱獄映画ではありません。

アパルトヘイトという時代の中で、命を懸けて自由を求めた者たちの真実が描かれています。

今回は実話との違いや、脱獄後に何が起きたのかについて、自分の感想を交えながら掘り下げていきたいと思います。

 

スポンサーリンク

映画「プリズンエスケープ 脱出への10の鍵」実話の脱獄のその後は?

映画「プリズンエスケープ 脱出への10の鍵」実話の脱獄のその後は?映画との違いも解説

あの衝撃の脱獄劇のあと、現実の彼らはどこへ行き、どんな人生を歩んだのでしょう?

映画を観て胸が熱くなったあと、ふと気になったその「その後」を実話を元に振り返ります。

 

実際の脱獄後、ティム・ジェンキンはどうなったのか?

ティム・ジェンキンは、1979年に南アフリカ・プレトリア中央刑務所を脱獄したあと、まずモザンビークへ逃れました。

その後はタンザニアを経由してイギリスに渡り、ロンドンに拠点を移して活動を続けています。

南アフリカ解放のために引き続き尽力し、アフリカ民族会議(ANC)の一員として、国外からアパルトヘイト体制に対抗する戦略を支えました。

通信システムの整備や、プロパガンダの工夫など、技術者としての知識を武器に戦ったそうです。

また、1990年代の民主化以降は、南アフリカに帰国し、社会変革に関わる様々な市民活動に参加。

2020年代に入ってもなお、民主主義や平等を訴えるメッセージを発信しています。

ちなみに、書いた自伝『Inside Out: Escape from Pretoria Prison』が今回の映画の原作になっています。

読みごたえもあるし、細かな背景をもっと知りたい人にはおすすめ。

 

スティーヴン・リーのその後

一緒に脱獄したスティーヴン・リーも、実在する人物です。

ティムと同じように白人でありながらアパルトヘイトに反対し、ANCの協力者として行動していました。

脱獄後はヨーロッパを拠点に亡命生活を送り、同様にANCの活動を支援していたとされています。

表に出ることは少なかったですが、南アフリカの民主化が進んでいく過程のなかで、貴重な役割を担っていました。

特筆すべきは、ティム・ジェンキンとの友情が長く続いていたこと。

脱獄という命がけの経験を共有したからこその信頼関係ですね。

 

レナード・フォンティン

映画でも登場したレナード・フォンティンも、実在の人物です。

活動家というよりは支援者の側面が強かったものの、脱獄の仲間として重要な役割を果たしました。

脱獄後はモザンビークに逃げ、政治的亡命者として生活。

その後、海外の大学で教鞭をとったり、国際協力関係の仕事にも関わっていたようです。

活動の詳細はあまり明かされていませんが、南アフリカ帰国後は教育や地域発展にも関わっていたとの記録があります。

 

デニス・ゴールドバーグ

映画で印象的だったのが、脱獄には加わらなかったデニス・ゴールドバーグの存在です。

実際にも刑務所に残っていました。

ネルソン・マンデラと同時期に逮捕され、リボニア裁判で終身刑を受けた人物の一人です。

白人でありながら、アパルトヘイトに命を賭けて反対した数少ない政治犯でした。

プレトリア刑務所ではなく、ロベン島には収監されずに別の刑務所にいたこともあり、黒人政治犯とは分けられていました。

これは当時の制度の特徴です。

白人も黒人も、政治犯であっても人種で差別されるという歪んだ現実がそこにあったわけですね。

出所後はヨーロッパで活動を続け、南アフリカに戻ってからも人権や平等を訴える活動を展開しました。

2019年に亡くなるまで戦いは続いていました。

 

スポンサーリンク

アパルトヘイト制度の背景とその終焉

映画「プリズンエスケープ 脱出への10の鍵」実話の脱獄のその後は?映画との違いも解説

この映画を観て、何より強烈に感じたのは、「ここまで理不尽な体制が、つい最近まで実際に存在していたのか…」という驚きです。

アパルトヘイト制度という言葉は聞いたことがあっても、その実態を掘り下げて知ると、胸がざわつくような感情が湧いてきました。

 

アパルトヘイトって一体なに?

南アフリカで1948年から1994年まで続いたアパルトヘイト制度は、ざっくり言えば「法律で人種差別を公に認めてしまった制度」です。

黒人、白人、カラード(混血)、インド系などの人々を法律上で完全に分け、それぞれの人種ごとに住む場所、通う学校、結婚の相手、職業の選択までを縛っていました。

最初にこれを聞いたとき、まるでディストピア小説の世界かと思いました。

けれど、これはつい30年ほど前まで、現実として続いていた事実なんです。

白人少数が、黒人多数を徹底的に支配するという構造。

その維持のためには、自由な言論も禁止され、反対運動をした人たちは政治犯として捕まり、拷問されたり、長期間投獄されたりすることも日常茶飯事でした。

映画で描かれたティム・ジェンキンたちの行動は、まさにその不条理と闘うものでした。

 

なぜこんな制度ができたのか?

背景には、植民地時代から続く「白人優位」の考え方があります。

オランダ系のボーア人(後のアフリカーナー)と、イギリスから来た入植者たちは、土地を奪い、鉱山資源を掌握して、黒人を労働力として使ってきました。

やがて南アフリカは独立しましたが、白人の手による政権が続き、アパルトヘイトを法制度として整備したのが、1948年の国民党政権です。

その根底にあったのは、「人種ごとに別々に生きた方が良い」「混ざり合うと社会が混乱する」という論理。

でも実態は、白人が支配を正当化するための、巧妙な差別でした。

黒人には選挙権がなく、まともな教育も受けられず、都市部への移動も制限される。

貧困や犯罪が増えるのも当然です。

にもかかわらず、それすらも「黒人は劣っている」とする言い訳に使われていたのです。

この理不尽さには、怒りを通り越して、無力感すら覚えました。

 

アパルトヘイトはどうやって終わったのか?

とはいえ、永遠に続く体制はありませんでした。

内外からの反発がどんどん強まっていったのです。

国内では、ANC(アフリカ民族会議)やPACなどの反アパルトヘイト組織が地下活動を続け、多くの市民が命がけで抵抗しました。

映画でも描かれたティムやスティーヴンのように、白人でも体制に反旗を翻す人が出てきたのも事実です。

一方で、国際社会からの制裁も大きな要因でした。

アパルトヘイトを批判する声が強まり、南アフリカへの経済制裁やスポーツの国際大会からの締め出しが相次ぎました。

その結果、経済が悪化し、国内でも「このままでは国が立ち行かない」という危機感が広がります。

1990年、ついにネルソン・マンデラが釈放され、アパルトヘイト廃止への道が開かれました。

そして1994年、南アフリカで初めての全人種参加による選挙が行われ、マンデラが大統領に就任します。

こうして、長く続いた差別制度は終焉を迎えました。

 

でも、すべてが終わったわけではない

とはいえ、アパルトヘイトの傷跡は今も南アフリカに残っています。

経済格差、教育の不平等、暴力の連鎖など、見えにくい「構造的差別」は根深く残ったまま。

それでも、あの時代に命をかけて声を上げた人たちがいたことを思うと、今ある自由はけっして当たり前じゃないんだと実感します。

映画を観ながら感じたのは、たとえ少数派でも、「間違ってる」と言える勇気の大切さです。

 

スポンサーリンク

映画「プリズンエスケープ 脱出への10の鍵」実話と映画との違い

実際の脱獄計画は、数ヶ月にもわたる非常に地道で粘り強い作業でした。

鍵を一つ作るだけでも、何十回と失敗を繰り返し、そのたびに手作業で修正しながら形を整えていく必要がありました。

ところが映画では、最初から何となく手応えを掴んで、スムーズに成功してしまうような流れになっています。

脱出の難しさが伝わらず、緊張感も薄まってしまっていて、非常にもったいなく感じました。

観る側からすればテンポは良くて飽きないかもしれませんが、現実の努力と重圧を知ると、そこが軽すぎて残念に映ります。

 

実在の登場人物が一部省略・統合されている

事実に基づく物語であるにもかかわらず、実際に脱獄に関わった人物が映画から完全に削除されています。

そのことで、人間関係の複雑さや緊張感が減ってしまっている印象があります。

登場人物の性格や立場の違いがもっと丁寧に描かれていれば、より深く感情移入できたと思います。

さらに、映画の中で目立つベテラン囚人の存在も、物語上は必要な役割とはいえ、あまりにも「都合のいい導き手」になりすぎていて、リアリティが欠けています。

実話をもとにしているなら、もっと人物の“歪さ”や“迷い”を残すべきだと感じました。

 

刑務所の過酷さがかなり薄められている

南アフリカのプレトリア刑務所は、政治犯を収容する場所ではあったものの、決して穏やかな環境ではありませんでした。

監視の目は厳しく、日常的な差別的扱いや心理的圧迫もあったはずです。

ところが映画では、そういった描写が非常に少なく、看守もどこか“映画的”な役割をこなすだけに見えてしまいます。

実際の刑務所生活はもっと閉塞感があって、絶望や怒りが渦巻いていたと思います。

そうした現場の“空気”を削ってしまったことで、物語全体の緊張感が軽くなっています。

 

脱出の方法があまりにも簡略化されている

木の鍵を作って脱出するという発想自体は、現実でも実際に行われたことです。

ただ、その成功までには多くの障害があり、試作と観察を繰り返しながら、何度も心が折れそうになる過程がありました。

映画ではそういった細かい積み重ねがあまり描かれておらず、まるで“工夫したらうまくいった”という印象になってしまっています。

自分としては、こここそが最大の見どころだと思っていたので、もう少し時間をかけて丁寧に描いてほしかったです。

道具も材料もない状況で作られた鍵が、どれだけ精巧で、どれだけあり得ない挑戦だったのかをもっと伝えるべきだったと思います。

 

政治的背景があまりにも軽く扱われている

アパルトヘイト体制下で行われた脱獄という事実は、単なるスリリングな出来事ではなく、政治的抵抗の一環でした。

逮捕された理由も、爆弾や暴力ではなく、政府に対するビラ配布という“情報戦”の中での活動です。

にもかかわらず、映画ではその政治的背景が非常に薄く扱われており、観る側が「なぜここまでして脱獄したのか」という根本的な問いに答えられない構成になっています。

これはかなりの問題点だと思います。

単なる脱出劇ではなく、権力に対して自由を取り戻す行為だったという意味合いをもっと強調するべきでした。

 

映画としての完成度は高いが、本質的な部分が抜け落ちている

映画の完成度は決して低くありません。

テンポ、演出、キャスティングも上手く、映像としての緊張感もある程度保たれています。

ただ、元になった実話の“異常さ”や“意義”を考えると、映画的脚色が全体を薄めてしまっているように感じました。

スリルに偏りすぎていて、観終わったあとに残るものが「面白かった」だけで終わってしまいかねない。

この脱獄は歴史的な出来事であり、南アフリカの闘争の一部だったわけで、そこを正面から描く勇気が、もう少しあってもよかったと強く思います。

 

スポンサーリンク

まとめ

映画って、どうしてもドラマチックに脚色される部分がありますよね。

でもこの作品の場合、それが悪いとは感じませんでした。

むしろ“知ってもらうための入り口”として素晴らしい役割を果たしていると感じました。

だからこそ、そのあとで実際の背景を自分の足で調べたり、本を読んだりして深掘りしていくのが大切なのかなと思います。

映画が終わったあとに、物語が始まるって、なんか素敵ですよね。

この映画をきっかけに、アパルトヘイトや人権問題に少しでも関心を持つ人が増えたら、それがきっとジェンキンたちの願いにもつながるんじゃないでしょうか。

「ただ逃げた」わけじゃない。

「信じた道を、命がけで貫いた」──そんな物語として、この映画はずっと心に残り続けると思います。

コメント

タイトルとURLをコピーしました